平安のロマンス ~勧修寺の「タマノコシ(玉の輿)」伝説~
今春、JR東海の「そうだ 京都、行こう。」キャンペーンで取り上げられる勧修寺。山科が誇る名刹に伝わる知られざる逸話を勧修寺の方に教えていただきましたので、ご紹介します。
<勧修寺の「タマノコシ(玉の輿)」伝説>
勧修寺は約1,000年前、平安時代の昌泰3年(西暦900年)に醍醐天皇によって創建された真言宗山階派の大本山です。
山号は亀甲山と言い、醍醐天皇御親作と伝える千手観音をご本尊として奉安しています。
このあたりの地名は「カンシュウジ」と言いますが、これは通称名で、正式には「カジュウジ」といいます。
勧修寺開創の縁起は、今昔物語集の巻22の第7に、美しい平安のロマンス物語・日本版シンデレラ物語として記されています。これを簡略していうと、平成の今日でこそにぎやかな山科ですが、この地も1,000年前は平安の貴族方がタカ狩りをされるジャングルでした。藤原家の青年貴公子の藤原高藤(フジワラタカフジ)さんは、この山科でタカ狩りの最中に大雨にあい、たまたま宮道列子(ミヤジタマコ)さんのお家にかけ込まれました。高藤さんは列子さんの美しさに見とれ、「今に妻として迎えに来るから。」と約束されました。列子さんはこのお言葉を信じて7年間待たれた後、めでたく結婚されました。
誕生された胤子(ツギコ)さんは宇多天皇の皇后となられ、醍醐天皇が誕生されました。醍醐天皇が列子さんのお家を寺にされたのが勧修寺です。
当時は封建時代で、藤原一族でなければ皇后にはなれないという時代でした。たまたま高藤さんがかけ込まれたそのご縁により、列子さんはご皇室のご縁者となられました。女性が高い身分や多くの財産をもつ人の妻になることを「タマノコシに乗る」といいますが、地元では、列子さんから誕生した言葉であると伝えられています。